気まぐれ日記 2015年12月
2015年11月はここ
12月1日(火)「資料読みとモチーフ・・・の風さん」
2階から見える柿の実が一つになってしまった。
午前中、電話で出版社と来年の相談をした。年が明けたら最優先で取り組む仕事だ。それを中心に据えて、来年の全体計画を作る必要があるな。あれもこれもできることではない。それが退社して1年半でよく分かった。
帰国して、旅の荷物はすぐに片付けることができた。海外旅行はめったにあることではないので、家族のスーツケースを小屋にしまった。私のスーツケースは近いうちに修理に出ることになる。
午後から、ようやく短編の仕事に復帰した。先ず、集めた資料を読み直す。旅行中にもある程度できたと思うが、あえてやらなかったのは、資料を読みながら浮かんでくるイメージを大切にしたかったからだ。それは小説の重要なモチーフになる。単なる知識獲得のための資料読みではないのだ。イメージをとらえそこなったら……と思うと、旅の空の下、バタバタしている中で読む気になれなかった。
資料を読みながら感じることは、今回の作品の主人公が感じることと同じだということに気付いた。これは重要なモチーフになる。
大腸内視鏡検査が近付いているので、食事に気を付けるようになった。
明日は久しぶりの非常勤講義なので、その準備をして、今日は早めに就寝した。
12月2日(水)「講義より検査の準備・・・の風さん」
2階から見える最後の柿の実にスズメが3羽むらがっていた。
今日は3週間ぶりに本山へ講義に出かける日だ。しかし私の神経は、明日の大腸内視鏡検査へ向けられていた。
早めに普段通りのトースト1枚の朝食を摂り、水分を増やす意味で、ココナツオイル入りのインスタントコーヒーも飲んだ。
本山へ出かける前に、病院指定の昼食を摂った。ゼリー状の栄養剤とウェハースだった。
本山キャンパスには予定よりも早く着いた。
お世話になっている事務員へインドネシアのお土産を渡し、学生に配るコピーをとり、コーヒーを飲んだ。
講義はゆったりと進めたが、最後で波乱があった。昨夜、Excelの操作をWindowsの執筆マシンでおさらいしてあったが、持参のMacbookAirのExcelが思ったよりも操作が違っていて、学生たちに模範操作を見せることができなかったのだ。情けない。
急いで3週間前に受け取ったレポート(採点済み)を返却し、今日が締め切りのレポートを全員から受け取った。
講師控室で紅茶を淹れて、朝日新聞を読みながら、病院指定の間食(ビスコ)を食べた。
帰宅してからは、スポーツドリンクを飲みながら、執筆の続きに取り組んだ。
庭の最後の柿が、車庫の屋上のデッキに落ちていた。
夕食は、病院指定のおかゆとみそ汁とハンバーグだった。けっこういける。食後のコーヒーを楽しんでいたら、もう下剤を飲む時刻になってしまい、あわてて服用した。バリウム検査の後はいつも苦労していた。明朝はどうだろうか。
就寝は遅くなったが、ギリギリまで執筆に取り組んだ。
12月3日(木)「ポリープ切除で入院・・・の風さん」
5時半起床。外はまだ暗い。
昨夜飲んだ下剤が少し効いていた。これなら順調にいけるかも。
6時に薬液を2リットル作成して、最初に水をコップ2杯飲む。6時10分から薬液を飲み始める。200ccを10分かけて飲む。スポーツドリンクの味がする。これを2回繰り返したら、次は水を200cc以上飲む。こういった順序を3セット繰り返すのである。
2セット目から効果が出始め、3セット目に入ったときは、飲んだらすぐ出る直行状態になった。これで腸の洗浄が完了した。
外はあいにくの雨。朝刊の予報によると午前中いっぱいこんな感じらしい。
もし検査でポリープが発見され、切除してもらうとそのまま入院して経過観察となる。泊まる準備もしなければならなかった。その場合は、執筆ができるようにパソコンも持っていかなければならない。けっこうな荷物になった。
10時半過ぎに家を出、最寄りの駅から電車に乗った。検査には鎮静剤を使用するので、キャメロンで行くかけにはいかない。
病院には予定の1時間以上前に到着した。
朝も昼も抜いているが、空腹はあまり気にならなかった。
テレビを見ていたら、檀一雄のお気に入りのレストランということで、新宿の台湾料理店「山珍居」が出て来た。新鷹会が毎年忘年会をおこなうレストランだ。
檀一雄はふらりと店を訪れ、豚足とマコモ炒めを注文したという。大好物だったらしい。現オーナーの黄善徹氏が若い頃それをよく見て記憶しているそうだ。
「山珍居」の2階に、私の色紙はまだ飾ってあるだろうか。
そうこうしているうちに私の順番が来た。
胃カメラで慣れているので、今日はそれほど緊張しなかった。検査台に横になり、鎮静剤を打たれたらまもなく眠ってしまった。
目覚めたのは5時ころである。おそらく2時間半くらい寝ていたと思う。左腕をチェックすると「ポリープ切除」の札がついていた。これで、入院が決まった。
個室は新築のようで快適だった。今年の春ワイフが、先月長女が入院したが、どちらの部屋よりも充実した装備だった。
6時からの夕食を完食した。五分粥もおかずも美味しかった。7時から看護師のチェックがあったが、特に問題なかった。
パソコンなどを準備して、先ず、雑務の処理にとりかかった。小説の執筆にはまだ気分が乗らなかった。
12月4日(金)「無事退院・・・の風さん」
結局、昨夜は雑務ばかりして夜が更けてしまった。雑務ばかりだったが、その雑務もすべてを終えることができなかった。
今朝は7時過ぎに起床して、時間になったので、上の階の食堂へ行って朝食を摂った。私が最後だった。
今朝も五分粥かと思ったらそうではなく、トーストとジャム、牛乳などだった。
8時半過ぎに医師の回診があり、「小さなポリープを一つ取っただけです」という説明を受け、少し安心した。世の中には取り切れないほど多くのポリープができる体質の人がいる。気の毒に思っていたが、自分もそうだったらショックだった。
退院の許可がおりたので、切除したポリープの検査結果など、今後のことを相談する日を予約してからバスで家路についた。
片道約2時間かかる。
最寄りの駅までワイフが迎えに来てくれたので、坂道を登らずにすんだ。助かった。
昼食は今日も自宅療養中の長女が作ってくれた。久しぶりにまともな食事をした気分だった。
フェースブックに大腸のポリープを切除して入院したことをアップしたら、あちこちからお見舞いの書き込みがあった。多くの人が心配してくれたことが嬉しかった。ポリープ切除は手術扱いだから、ちゃんと保険の請求をするんだよ、とアドバイスのメッセージを送ってくれた友人もいた。
夕方から、やっと本格的な小説執筆を開始した。「創造の船」に参加する前に、この段階に入る予定だったのに、とんでもない遅れである。
ワイフからスマホでゲームばかりしているせいだ、と指摘されたが、遅れの原因はそればかりではないと思うのだが……。
12月5日(土)「完璧主義者返上・・・の風さん」
今日から普通の生活だ。でも、よけいなことは一切せずに、執筆に専念しなければならない。
実際、原稿の執筆は厄介なものだ。何が厄介かというと、自分の性格との勝負になるからだ。子供の頃から完璧主義的なところがあり、きわめていくスキルであればあるほど、その傾向が強くなった。どうでもいいことは、本当にどうでもいいや、と楽に構えることができるのだが。
それで、小説を書き出すのがとても怖い。右手の書痙の原因の一部もそれだろう。
気まぐれ日記をせっせと書いているのは、こういった文章はお気楽な作業だからだ。それに、剣道の素振りにも通じる基礎鍛錬にもなる(かな?)。
もう切羽詰まっているので、さすがの完璧主義者も諦めて、執筆を開始した。なるべく筆を止めずに書き続けるのである。
今日は最後までたどり着くのが目標だ。
新刊を贈呈した会社の大先輩からハガキが届いた。出版の祝福だけでなく、感謝のメッセージが入っていた。デンソーの良さが盛り込まれた内容だったからだ。大先輩は現役のころから部下にやる気を起こさせる方だった。若造だった私は、この人のためなら死ぬ気で働けると思ったし、実際そうしていた。頑張れば確実に誉めてくださる方だったのだ。直属の上司は細々と指導しなければならないが、トップというのは、多くの部下に動機付けさせるというかエンパワーメントが必要である。その基本は人格者であることだ。大先輩も私も現役を退いているが、今もなお上司と部下の関係が続いているようなもので、私はハガキを見ながら幸福感に浸った。
夕方、宅配が届いた。これは私が注文した品物なので、すぐ受け取りに行った。品物はキッチンタイマーで、「創造の船」で講師仲間が使っているのを見て「これだ!」と思った。特にセミナーでは受講者にディスカッションをしてもらう。その時間管理に最適なのだ。ついでに、自分のダラダラした講演の時間管理にも使えそうだと思った。たまたま最安値の品物が気に入ったのだが、開けてみたら画面がどでかい。これなら遠くからでも見える(私は自分のMacbookAirから離れ、受講者の近くで話をする)。
夕食までに、原稿は最後まで到達できる目途がついた。
それで、夕食後にたまっていた郵便物作成を一気にやってから、再び執筆に取り組んだ。
午前1時過ぎに、とにかく最後までたどり着いた。
ひどい文章だが、明日いっぱいかけて書き直してみるつもりだ。立派な下書きにはなるだろう。
12月6日(日)「モーニングと墓参・・・の風さん」
ワイフが地元の施設でトールの体験教室をやっているので、その準備の手伝いをした長女を連れて様子を見に行った。
しかし、実際の狙いは、隣の食堂でモーニングを食べることだった(笑)。
自宅をキャメロンで出発したら、町内会の面々が大勢出ていた。……そこで、ようやく気が付いた。今日は消火訓練の予定だった。
東南アジアへ出かけている間に、確認の回覧板が出ていたが、私はそれを見ていなかったこともあり、完全に忘れていた。
防災部で組長でもある私は参加の義務があったが、もう手遅れ、と判断し、長女を乗せたまま通過した。災害はいつ突然襲ってくるか分からない。なので、こういった風に狼狽したりパニックになったり開き直ったりすることになる。やれやれ。
国道に出たら、沿道に人がたくさん出ていた。何だろう、と思っていたら、東海地方の大学の駅伝大会だった。走るコースが対向車線だったので、先頭からしんがりまで見物できた(私が非常勤講師をしている愛工大が優勝した)。
目的地の地元の施設に着いたら、ここも人が多かった。屋外で第1回「ご当地アイドル」オーディションをやっていた。町長まで来て挨拶していた。
モーニングを食べ、体験教室を見学し、帰りに郵便局で一気に6通の郵便物を投函し、ついでに送金と通帳記入までやって帰宅した。
やや遅い昼食後、今度はワイフと長女と3人で墓参に行った。今年入院を経験した3人である。現在の無事を報告した。年内にあと何回墓参に行けるだろうか。
こうして夕方からやっと、昨日下書きした掌編小説の仕上げ作業に取り掛かった。
作業は順調だったが、掌編小説のつもりが立派な短編小説の分量になってしまい、午前零時を過ぎた段階で、徹夜の公算が高くなった。
12月7日(月)「徹夜で第一稿を完成・・・の風さん」
やはり徹夜になってしまった。しかし、とにかく、すっかり明るくなる頃に、執筆を終えた。
いちおう印刷して、最後まで読んでみて、第一稿に値することを確認した。
編集者へメール添付して送信した。やれやれ、である。
入浴してサッパリしてから、ベッドにもぐり込んだ。
5時間近く寝て(かなり疲れていたようだ)、根性で起床した。
朝も昼も食べていないが、特に食欲はない。
キャメロンで出かけ、懸案の灯油を2缶購入してきた(給油と自動洗車もついでに)。原油価格の下落のお蔭で、1年前から著しく安くなっている。今年の冬の暖房は、これで安心だ。
帰宅して、インスタントコーヒーを飲んでから書斎に入った。
編集から返信が届いていて、第一稿が受理された。イラストを描いてもらう高山ケンタさんへも第一稿を送った。
今夜はたまっている雑務を片付けることにした……が、メールポストを開くと、対応しなければならないことが目白押しだった。やれやれ、である。
来年の2月の講演のタイトルを求められたので、それが今日最後の仕事になり、午前2時ころ送信完了した。
とんでもない時間の使い方だな(苦笑)。
就寝は午前3時15分。
12月8日(火)「仕事がのろい!・・・の風さん」
6時間睡眠で起床。天気は快晴。今日こそ仕事を進展させねば。
明日は非常勤講義なので、その準備をしなければならない。一気に来週の分もやってしまえば、年内の懸案事項は一つ解消する。
午前中、雑務を処理し、午後いちばんで図書館へ出かけ、新刊『トコトンやさしいコンカレント・エンジニアリングの本』(と他10冊)を寄贈してきた。恒例行事だが、初めて本名で出した本なので、その扱いについて相談した。
相手は文章教室の仲間で、最新作を2つもらった。しばらくスランプだと聞いていたが、着々と成果が出ているのは喜ばしいことだ。
帰宅して昼食後、いよいよ講義の準備だ。
ところが、ここで急激に眠くなり、書斎の椅子に座ったままウトウト……。
目覚めたら、もう夕方だった!
名商大のHPに卒業生の私が新刊を出したという記事がアップされた。恩師長沢先生の働きかけのお蔭である。ありがたいことだ。
明日返却するレポートの採点、明日の講義用スライドの更新と配布資料の原紙作成、そして、愛工大の新メールシステムへの更新までやったところで、もう限界に達した。
とにかく仕事がのろい。
就寝は午前2時を回ってしまった。
12月9日(水)「落ち込んだ1日・・・の風さん」
講義に出発する前にやることを予(あらかじ)め考えておいて、その通り、遮二無二(しゃにむに)取り組んで、予定通り11時にキャメロンで出発。今日も昼食は抜き!
道路の混雑は普通で、1時間半で到着した。すぐに近くの銀行のATMで、自分の口座の残高確認。またヤバイ状態になっている。近いうちに預金しておく必要がある。活動すればするほどお金がなくなるという最悪の状況が、退社以来続いている。我が家の家計も同じだ。どちらが大事かと言えば、我が家の家計なので、自分の活動は停止した方がよい、という結論になってしまう。落ち込む最大の原因である。
講義を終えたが、またExcelの操作で一つうまく行かなった。自宅でやった時はうまく行ったのに、おかしい。
ひと休憩してからデンソー本社へ向かった。1時間とちょっとかかった。
当初、年内に本社を訪れて、諸先輩に挨拶をしようと思っていたが、まったく無理だと分かったので、業者との交流ゾーンで後輩と会い、新刊を託した。忙しい後輩に貴重な時間を使わせて申し訳ない気分だ。それというのも、もう私が過去の人だということだ。情けない。
6時に帰宅したら家は真っ暗だった。つまりワイフも長女も出かけていて留守。
晩御飯まで雑務を片付けた。朝からトースト1枚しか食べていなかったので、久しぶりに空腹感を味わった。
夕食後、疲労をおぼえたが、ここで知的な作業をすると効率は絶対に上がらないし、かと言って、ひと眠りしたらそのまま朝という恐れもあるので、あまり頭を使わない雑務の続きをやることにした。
とは言え、昨夜の愛工大のメールシステム移行の残務があった。旧メールシステムから新メールシステムへのメールデータの移行である。やり方の指示がメールで届いていたので、その通りにやったら、何とかできた。この雑務はあと少しだ。
あと、「創造の船」でもらった名刺の登録などもやったが、どんどん「behind
schedule(予定遅れ)」感が強まっている。
12月10日(木)「来週の講義の準備が完了・・・の風さん」
だいぶ先の話だが、来年の2月の講演の打ち合わせのために、わざわざ開催地から担当の方がみえた。我が家で対応するだけの余裕はなかったので、最近利用するようになった、常滑りんくう地区のホテルのラウンジで会った。
ちょうど長女がオープンして日が浅いイオンに行きたいというので、キャメロンに乗せて行った。
打ち合わせは1時間ほどで終了した。かなり詳細な取り決めができた。
帰りにコストコのタイヤセンターに寄って、スタッドレスタイヤの交換の見積もりをしてもらった。イメージしていた金額より高かった。
帰宅してから作業に復帰した。
気になっていることは色々とあるが、決着がつきそうなことを優先することにして、来週の講義の準備を開始した。
やることは単純なのだが、頭脳が老化しているのかもしれない。効率はなかなか上がらなかった。
結局、深夜にまで突入し、ほとんど半徹夜状態で完了した。
しかし、終わればやはりホッとするものだ。
ところが、就寝する頃から外では強い風雨となっていて、まるで台風が来ているような状態だった。
少し空が白みかけたころ、ようやく眠りに落ちたようだ。
12月11日(金)「2日連続半徹夜・・・の風さん」
結局、眠りが浅いまま10時頃に起きた。ベッドの中にいた時間は5時間半あったから、休養は十分ということにしておこう。
風もおさまり、雨は降っていなかったが、車庫の上の物干しが倒れていた。
天気予報によると、各地で気温が20度をこえると出ていた。暖かいのはありがたい。
長女がしばらく名古屋に帰るので、一緒に出かけるワイフとの二人を駅まで送った。
帰りにGSに寄って、スタッドレスタイヤ交換について、費用や納期の相談をした。コストコよりも高かった。
カリチューにも電話して、同じ相談をしたのだが、遠い分だけ不利である。
今日中に、スタッドレスタイヤ交換について決着をつけたかったが、できなかった。最大の問題は、私に時間がないこと。第二は、費用が想定以上だということだ。
夕方からようやく作家業に取り掛かった。今日は、何としても掌編小説の第二稿を完成させねばならない。
しかし、こいつが意外と手こずった。調子の出ない日は出ないのかもしれない。それでも、やるっきゃない。瀬戸際に追い詰められている。既に来週の予定を2つも中止しているが、それでも追いつくかどうかあやしい。
就寝は昨日に続いて午前4時を過ぎた。
12月12日(土)「タイヤと原稿が決着・・・の風さん」
2日連続半徹夜だったが、10時には起きた。
いただき物のみかんがたくさんある。地元の美味しいみかんである。
こういうものをコツコツ食べるのは私しかいない。袋の中身をチェックしたら、何個も腐ったりカビがはえたりしていた。昨日まで1日に3個をノルマにしていたが、今日から9個に変更することにした。それでも年内には食べ終わらない恐れが大である。
いくら何でももうスタッドレスタイヤの結論をつけなければいけない。ところが、突然閃くものがあった。発想の転換である。
今、私にとって一番重要なのは時間である。次がお金。その両方を満足させる発想だ。
タイヤチェーンである。今回のピンチをしのぐのに、この方法を検討していなかった。早速、ネットで最新情報を入手してみると、非金属のものもかなり進化していた。装着作業が楽なのである。数種類のタイプを比較し、キャメロンのタイヤに適合する品番を特定し、ネット購入を試みたら、幸運にも中古品(開封したが未使用)があった。明日の昼に届く(実は、これを書いている時に届いた)。受け取るだけで、私の貴重な時間はほとんど使う必要がなくなった。
これで安心して、午後、やっと昨夜の続きに着手した。頭からざっと見直し作業を続け、夕方やっと第二稿が完成した。
次の最優先課題は、来週の火曜日の講演準備である。眠かったので、SFの洋画を1本見てから取り組むことにした。
12月13日(日)「別の書下ろしのリファインに着手・・・の風さん」
火曜日の講演準備はほとんどできないまま、昨夜は早めに寝た。睡眠十分なので、今日はきっと仕事がはかどるだろうと思った。
夏に書いた短編小説も第二稿にする必要が迫っていた。これは来年の6月ごろ出る予定の文庫に入れる書き下ろしである。
これを完成させるため、読みかけの『代表作時代小説』の短編を1本読んでみた。永井路子さんの作品で、フィクションだが、いかにもありそうな話であり、またあってほしいロマンチックな物語だった。この短編に非常に啓発されたので、自分の作品のリファインに力が入った。
当初、半日ぐらいでリファインする予定だったのが、結局、午前1時までかかってしまった。明日の朝、もう一度最初から読み直して、それから出版社へ送ることにする。
入浴してこのまま寝たのでは、明日からさらに大ピンチになってしまう。
入浴後、寝ぼけた頭でできそうなこととして、来週の土曜日の講演で配布してもらう資料を用意した。他からの流用なので、手間はかからなかったし、十分使えると思った。
今日はタイヤチェーンが届いたので、タイヤ交換の時間を節約することができた。
夜、地元の書店員を中心とした交流会の参加をとりやめたので(これは非常にもったいないことをしたと思うが、止むを得なかった)、その分、時間を確保できた。明日からも時間を大切に使わなければならない。
そう思いつつ、就寝は午前3時を回ってしまった。
12月14日(月)「がんがん仕事をした・・・の風さん」
いよいよ切羽詰まってきたので、今日は夢中で仕事をした。
昨夜リファインした短編小説を、もう一度読みながら再リファインをかけた。そして、これも第二稿として出版社へ送った。
続けて、土曜日の講演の配布資料を再チェックして、事務局の先生へ送った。
午前中にやろうと思ったことはすべてできた。
シンガポール航空から破損したスーツケースの修理の件で、やっと電話がきた。海外旅行保険会社とやりとりした話をして、しっかり修理してもらいたいと希望を伝えた。まだかなり時間がかかりそうだ。
来週の火曜日にも北陸地方の会社で講演をする。そのための配布資料も急いで用意した。これがそのまま使えるかどうか分からなかったので、相談という形でとりあえず送った。
さて、明日は、計測自動制御学会のシステムインテグレーション部門講演会で、鳴海風としてキーノートスピーチをしなければならない。通常の作家としての講演なら気楽なのだが、普通の研究発表が続いている中でやる講演なので、ある程度の型というものがある。そして、そのセッションには特定の専門家が集まっているのだ。あまりにもその部門とかけ離れた話では違和感をおぼえられる。つまり、少々憂鬱だった。
もう時間がないので、提出してある予稿に従って話をすることに決めた。キーノートスピーチとはいえ、30分間しかないので、予稿とセットで理解してもらうのがベストと判断したのだ。
これで作戦が立ったので、猛烈な勢いでスライドの作成を続けて行った。
予想外に早く完成した。とは言っても午前2時終了だったが。
午前3時に就寝した。
12月15日(火)「盛会だったSI2015・・・の風さん」
午前6時起床。外は真っ暗。こういうの嫌いだ(笑)。
せかせかと出発の準備して、特にスーツとネクタイが面倒、家を出た。近所のよく地域ボランティアをされている方と遭遇、挨拶、歩きながらゴミ拾いをしていたが、そのまま児童の登校コースの横断歩道で立哨されるのだ。頭が下がる。
通勤、通学で最も込み合う時間帯だったので、電車も地下鉄もずっと混んでいて、立ちっぱなしだった。
久しぶりに名古屋国際会議場に行った。最後の訪問は、星亮一さんの講演聴講だった気がする。
今日は、歴史作家鳴海風が、かつて所属していたこともある計測自動制御学会の一部門である、システムインテグレーション部門講演会(SI2015)でキーノートスピーチをやるのである。イベント盛り上げ役の講演をイメージしてお引き受けしたのだが、手続きが本格的になるにつれ、そうでないことに気が付いて焦った。
特に、論文スタイルの予稿を提出する時点で、どうも普通の研究発表と似た扱いのような気がし、登録料を支払え、というメールが来た時点で、覚悟を決めた。
発表会場に着いて、ゆっくりしていると、司会役の遠藤先生がみえて「私のセッションの発表の審査をしてくれませんか」と言われた。もう30年以上この分野では仕事をしていないからできませんと断った。ところが、続いて、もう一人の司会役の菅原先生も一緒にみえて、同じ依頼をされたため、どうやらお困りのようだと思い、お引き受けすることにした。私の発表は次のセッションのトップバッターである。前のセッションでスライドの再チェックを兼ねて発表練習しようと思っていた思惑が崩壊した(^_^;)。
私の発表のときに司会をされる柿崎先生も到着されて、いよいよ私の番になった。
江戸時代は循環型社会だったと言われますが、そういった生活ができたベースの一つは、当時の人たちがお日様やお月様の動きに合わせた暮らしをしていたからで、今日は、江戸時代の人々の暮らしのベースになっていたカレンダー太陰太陽暦と天文学の話をします……と語り出したかったのだが、事前準備が不十分でしどろもどろになった(苦笑)。
しかし、あまり慣れていない30分という講演時間におさめるための工夫は功を奏し、質問を受ける時間も残すことができた。たくさんの質問が出て嬉しかった。
急用で東京へ行かれる柿崎先生とランチしながら久々の情報交換をした。何とか郡山(研究室のあるところ)を訪問したいと思った。
先生を玄関で見送った後は、眠くてどうしようもなく、ロビーのソファーで爆睡した。
夕方目覚めると、周囲に人気がなくなっていた。懇親会の会場は金山駅近くのホテルだということを知らなかった。
それから地下鉄で金山まで行き、懇親会に出席したが、今回の3日間にわたる学会が、何と1064人の参加だったと聞いて驚いた。
柿崎研の学生らと交流できたのはとても楽しく、あらためて郡山へ行きたいと思った。
途中で親友の小菅先生が登場したのには驚いたが、向こうも私が鳴海風で発表したと言ったら驚いていた。驚きは引き分け。
帰宅は10時を過ぎ、夜はもう雑用しかできなかった。
12月16日(水)「今年最後の非常勤講義・・・の風さん」
普通に起床。久しぶりにまともに睡眠がとれた気がする。
先週のうちに準備してあったので、いくらか安心気分で非常勤講義に出発した。
本山キャンパス近くの銀行で、先週に続き通帳の残高確認。予定通りの額だけ減っていた。来週末までに年明けに落ちる分の金額を預金できれば、とりあえず年は越せる。恐るべき低空飛行状態である。我ながら情けない。
講義はほぼ予定通りに終えることができた。今年最後の講義で、年明けに3回やらねばならないが、すべて初めての内容になる。準備にどれだけ時間がかかるだろうか。今は予想が立たない。とにかく、今年もお疲れさん。
名駅で乗り換えるとき、フルーツ大福の誘惑に負けて買ってしまった。
帰りに、色々と用事をした。
薬局で買い物をし、GSで灯油を買い、コンビニで宅急便を出し、スーパーで今年も発売されたドイツのグリューワインを2本買った。
夜は、土曜日の講演スライドの作成に注力した。なぜなら、昨日の学会発表の内容を流用できると判断したからだ。
最後の仕事は、破損したスーツケースの修理の手続き。航空会社から届いた書類に署名した。明日、投函する。
年末というと、私はほとんど関係ないが、新しい大河ドラマが始まる。だいたい2年前からテーマは分かっているので、出版界はこの時期、関連本をそろえるべく準備に取りかかっている(はずだ)。この関連本に毎回名前を連ねるのが、歴史に詳しい楠木誠一郎さんだ。のれんというか看板というか、自身の強みが明確なので、本が出せるのだろう。
ということで、毎年恒例の大河ドラマ本が届いた。
楠木誠一郎著『イッキによめる! 天才武将 真田幸村33の謎』(講談社)である。
あれ? 何となく最近の私の本にタイトルが似ている気がする『トコトンやさしい・・・…』、それから、あれにも『江戸の天才・・・・・・』(笑)。
12月17日(木)「生マネ研出席、とこなめ会欠席・・・の風さん」
またまた短時間睡眠(3時間半)で起床。いつダウンするか分からない。
気になっていた屋外タンクに灯油を補給。ゲージは0を指していたので、ぎりぎりセーフだった。
電車で名古屋まで行った。今日は生産技術マネジメント研究会の主任アドバイザーチェックの日になっている。中間報告会へ向けてだんだん日にちがなくなってきた。小沢先生が所用でお休みなので、その分頑張らねばならない。
もう議論で発散させるわけにいかないので、前進するようにファシリテートした。
何とか居眠りすることなく1日を終えたが、夕方近くなってめまいを起こしていることがわかった。静止している物体を凝視すると、明らかに左右に揺れていたからだ。
今日は、事務局に新刊本、会社の後輩に愛工大デスクダイアリーを進呈した。
名駅のホームで電車を待ちながら、多忙のために欠席したとこなめ会を残念に思った。今日はオープンして日の浅い常滑イオンで開催されているのだ。
そうして得た貴重な時間を使って、土曜日の講演スライドをほぼ完成させることができた。
12月18日(金)「夫婦で大忙し・・・の風さん」
8時に起きたかったが9時に起床した。今日からワイフのトールペインティング教室の作品展が始まっている。
宅配業者へ電話して、修理に出すスーツケースを取りに来てもらう相談をした。
続いて、かかりつけの病院へ行った。最近体調が安定しているので、医者から特に指摘はなかった。
帰りにJAに寄って生活費をおろし、銀行のATMにも寄った。
帰宅して長女を作品展の会場へ送らねばならないと思っていたら、家にカギがかかっていて、中に入れない。電話をしたら、長女は電車で作品展の会場へ行っていた。
私もキャメロンで会場へ向かい、見学後、長女を乗せて帰宅した。作品展はまた格段と生徒のレベルが向上し、盛況だった。
遅い昼食を摂って、少し作業をし、宅配業者にスーツケースも預け、また今日も名古屋へ出かけた。
今夜は「創造の船」のフォローアップミーティングである。
あれから3週間だが、すごく日にちが経過したような気がしていた。懐かしいメンバーと会えて嬉しかったが、厳しい現実に直面している私は、成長した参加者たちがまぶしかった。
9時にミーティングが終わり、真っ直ぐ家路についた。
今夜も最寄りの駅から自宅まで歩いたのだが、坂道を早足で上り、息が切れた。
ワイフの作品展では、初めての試みである作品の即売をやっていて、売れ行きは好調とのことだった。
夜は明日の講演で販売する本にサインをし、キャリーケースにしっかり収納した。講演スライドの準備はバッチリなので、私の販売も期待できそうだ。
12月19日(土)「講演が終わっても徹夜態勢・・・の風さん」
今年もだんだん残りが少なくなってきたが、まだ仕事のピークが続いている。来週の富山での講演の前に、今日はOR学会で講演である。ORの専門家の講演とセットで、私のような異分野の講演を企画するのは、学会の特徴でもある。
ワイフが作品展でいないので、今日も歩いて最寄りの駅まで行った(と書くとごく普通のことのように思われるだろうが、販売用の本をキャリーケースにぎっしり詰めてあり、重い)。
ゆっくりランチしている余裕はなかったので、コンビニでカロリーメイトとホットコーヒーを買い、イートインコーナーで食べた。
今回の講演は知り合いの先生が私を紹介してくださったことで成立した。会員の田村先生や中野先生も来てくださる。
講演スライドはバッチリで、今日はさらにキッチンタイマーも仕掛けて、タイムマネジメントにも挑戦した。
質疑の時間を5分残して話を終えることができたのは、私にしては奇跡に近かった。
懇親会は場所を移しておこなわれた。
知り合いの先生ばかりと通常の飲み会みたいになってしまったのは、ちょっと我がままだったかもしれない。
残念ながら持参した本はほとんど売れ残り、重いキャリーケースを引きずって帰ることになった。しかし、何人かの先生が私の講演を気に入ってくださり、今度は大学でやってほしいと言われたので、これは幸運である。
今夜は町内会の臨時組長会議で、作品展を終えてすぐワイフが出席していた。長引いていたので、最寄りの駅までの迎えはなく、上り坂がけっこうきつかった。
またまた楠木さんの本が届いていた。おっ! これも大河ドラマ関連だ。
果てしなくシリーズが続いているタイムスリップもの『真田十勇士は名探偵!!』(講談社青い鳥文庫)
よし、一昨日届いた本と二つともトップページに並べておこう。
夜はいよいよ来週の講演の準備のピークだが、疲労があって効率が上がらない。
できれば徹夜してでも完成間近に持って行きたかったので、眠気覚ましに録画してある歌謡曲の動画を流して、万一のためのカラオケの練習などをした。午前5時を過ぎるころから限界を感じ、6時少し前に、とりあえず仮眠することにした。
12月20日(日)「出発前日のあわただしさ・・・の風さん」
会社の元同僚とワイフの作品展で合流する予定だったが、目が覚めたら、もうその時刻を過ぎていた。iPhoneをチェックすると、もう会場に来ているとのメッセージが入っていた。もう無理と判断して「ごめんなさい」メッセージを送った。
それにしても空は青空、風もほとんどなく最高の天気だ。
講演用のスライドはまだできていないが、明日は出発しなければならない。
ブランチ後、キャメロンでGSへ向かった。留守中の灯油の購入もしておかなければならなかった。キャメロンに給油もし、自動洗車もしてすぐ自宅へ戻った。屋外タンクに灯油を補給したら、今年初めて半分以上になった(これで安心)。
同僚と作品展の見学はできなかったが、片付けの手伝いはしなければならなかった。
会場へ着くと、既に片付けが始まっていた。
ワイフの大量の荷物の中からキャメロンに詰められるだけのものを詰め込んでまた自宅へ戻った。
それらの物をおろし、洗濯物を取り込んでひと息つくと、生徒さんのクルマが到着して、ワイフの荷物の第二陣が届いた。それをまた自宅へ運び込んだ。すごい量の荷物である。明日はワイフも一緒に出発するので、今夜中にすべて片付けなければならない。しかし、その手伝いはもう私には無理だ。
夕方、浄水器のフィルターの寿命が尽きた。8年ぶりの交換となった。事前にネット購入しておいてよかった。それにしても、忙しい時に限ってこういうことが重なる。
しかし、長女が家にいてくれるのは本当に助かる(ワイフの作品展の手伝いと家事をやってもらっている)。
夕食後、もう自分の仕事をするしかなかった。講演の準備はまだできていないのだ。
12月21日(月)「雨でも雪には降られず富山着・・・の風さん」
昨年の秋に講演に出かけた富山市へまた出かけるのである。
昨年も未明まで講演の準備をしていて、少し仮眠してから、お土産を買いに行ったりして、出発は11時だった。途中のSAで昼寝したり、のんびり走ったのだが、富山市に着いたのは午後6時だった。今日もそんな調子で行くしかないと思っていた。
講演スライドが完成したのは午前6時だった。時間をかけただけあって、ほぼ完ぺきだと思った。
しかし、ひと晩で天気は一気に悪化し、外は小雨が降っていた。
少しでも時間をかせぐため、そのまま書斎で横になった。寒いので石油温風ヒーターはつけっぱなしだ。
2時間ちょっと仮眠して、やっと旅行の準備に取り掛かった。我ながらすさまじい状況だ。
ワイフは楽勝かと思ったが、昨日の作品展で出た大量のごみを今からクリーンセンターへ持ち込むという。これまたすさまじい状況だ。
結局、昨年と同じ11時出発は諦めて、軽く昼食を摂って、午後1時出発になった。
昨日洗車したのに、キャメロンはすぐ汚れてしまった。しかし、そんなことより、この雨が雪にならないことを祈るばかりだった。
昨年も走った北陸自動車道に入った。雨は本降り状態で、高度が高くなるにつれて気温が下がるから、やはり雪が心配だ。タイヤチェーンは持ってきたが、装着は面倒だし、装着する事態になったら、スピードも出せない。
次第に道路の脇に雪も見えだした。雪は降って来なかったが、霧が濃くなってきた。最も高い地点と思われるひるがの高原SAは、すっかり霧に包まれていて景色を眺めるどころでなかった。雨も依然として降っていたので、外からキャメロンの写真を撮ってすぐ出発した。
途中、何度もパーキングに寄ったが、天気が悪いので気持ちはイマイチ冴えなかった。
それでも、何とか雪に降られることもなく城端SAまでたどり着いた。目的地まであと50キロほどだ。
目的地のホテルは昨年と同じなので、勝手がわかっている。午後5時を回ってすっかり暗くなってしまったが、気持ちは落ち着いていた。
ホテルにチェックインし、PCを立ち上げて、晩御飯を食べる店を探した。寒ブリの刺身を食べられる店で、なるべく近くだ。
今回の旅の2大目的のうちの一つが寒ブリだった。
市役所の近くの店まで、そぼ降る雨の中、向かった。はたして美味い寒ブリが食べられるか、事前調査が多忙のためにほとんどできていなかったので、非常に不安だったが、その店の料理はなかなかのものだった。また店のスタッフが若い人ばかりだったせいか、料金もきわめてリーズナブルだった。
冷酒で酔っ払ってしまったので、ホテルに戻るともうバタンキューだった。
12月22日(火)「別行動でも充実・・・の風さん」
久しぶりにまともな睡眠時間をとった気がする。講演は午後なので、ホテルの朝食時間もギリギリ間に合えば問題なし。
15階のバイキング方式のレストランは、立山連峰が見渡せる絶好のロケーションである。昨日の雨が上がって、雲はまだ多いが、その隙間に雪で覆われた峰々が見えた。
都市化の進んだ市内から、屏風のように連なる高峰が見えるのがワイフには新鮮らしく、飽きもせず眺めている。今年1年間の慰労を兼ねたツアーだが、寒ブリの他にも楽しみを発見してくれて、主催者としてはラッキーといったところだ。
ホテルに泊まっても朝食付きでないことが多いので、今朝のバイキングもワイフにはごちそうだったようだ。
午前中は市庁舎ビルの展望台に上がって、360度のパノラマを堪能した。ここはホテルの15階よりも高い。富山城もすぐ近くに見えたが、今回は寄っている時間はないだろう。神通川をはさんで向こうに呉羽丘陵も見え、今月第二稿を書き上げた短編小説の舞台を思い、作品に自信を持った。
それから新幹線が開通したばかりの富山駅へ向かい、うどんで軽い昼食を摂ってワイフと別れた。私が仕事をしている間、ワイフは、ショッピングと路面電車を利用した市内観光をする。
私はキャメロンで講演をおこなう企業の本社へ向かった。10キロほどしか離れていないので、すぐである。
昨年も講演した企業だが、昨年は工場、今年は本社である。本社にも工場があり、ショートプラントツアーをした後、昨年もお会いした生技メンバーと少し交流してから講演会場に向かった。
講演には社長、会長をはじめ120名ほども集まってくれ、メインテーマであるコンカレント・エンジニアリングの話がしやすかった。あらゆる部門が関係するテーマなので、多くの部門に聞いてもらいたかった。
講演は3部構成で、私がコンカレント・エンジニアリングを話せる背景であるデンソーの話、新刊の内容紹介、そしてデンソーでの具体例を2つ話した。途中、小休憩になるように、2回、隣の席の人と雑談してもらい、それまでの感想を2人ずつ質問した。これは、良い工夫だったと思う。
この企業でもコンカレント・エンジニアリングを展開してもらいたかったので、デンソーのパンフレット、新刊そして今日話した具体例の詳細報告書である一橋大学イノベーション研究センターのケース報告書を計4セット提供した。
講演後も生技メンバーと短時間交流した。ドロドロした質問もしてくれたので、嬉しかった。実務経験がないと答えられない話だ。
キャメロンでホテルへ戻った。ワイフは観光も買い物もたっぷりできたそうで、満足して待っていた。
今夜もネットで寒ブリが食べられるレストランを探し、徒歩で向かった。
入り口に「本日は満席」と断り書きがあったが、中に入って尋ねると、個室が一つ空いていた。昨夜と違った雰囲気の店だったが、飲んで食べて満足し、おまけに昨夜よりも安上がりだった。
12月23日(水)「八尾を見学して無事帰宅・・・の風さん」
昨日と同じように、朝食はギリギリに入った。今朝も雄大な立山連峰を望むことができ、バイキングは御馳走になった。
荷物がかなり増えてしまったので、持てるだけ持って、最初にキャメロンに積み込みに行ってから、チェックアウトした。
狭いトランクルームに、今回はタイヤチェーンの箱まで入れているので、荷物の積み込みはかなり苦労だった。
富山インター近くのGSでセルフ給油してから八尾へ向かった。八尾は越中おわら風の盆で有名な八尾のことである。ここも短編小説の重要なスポットなのでぜひ見学しておきたかった。
昔の街道かと思われる国道を走って八尾に着いた。坂の上にある石畳の町で、眼下に井田川が流れ、なかなか風情がある。
観光案内所でたっぷり時間をかけて八尾を勉強し、散歩には寒すぎたので、最後はキャメロンでぐるりと回ってから家路についた。
風の盆のときに来るのはなかなか大変だと思うが、もう少し良い季節に来れば、古い宿場町の面影を残す市内をゆっくり散策できるだろう。
富山西インターから再び高速にのった。すぐ呉羽パーキングに寄って昼食にした。私はブラックラーメンを食べた。しょうゆ味で、富山の名物である。
出発する頃から天気予報通りに雨になった。しかし、気温は高く、雪にはなりそうもなかった。とは言え、一番寒そうなひるがの高原を早く過ぎてしまいたかった。
ひるがの高原SAまでがけっこう距離があった。雨は強くなり、運転は楽ではなかった。
一昨日寄ったときは霧に包まれていたが、帰りのSAにはクックラというチーズ工房や雑貨屋、クリスマスショップなどが集まっていて、雨の降りが強い中、何となく軽井沢にでも来たような雰囲気で、楽しむことができた。ショッピングもし、美味いコーヒータイムになった。
一昨日は寄れなかった川島パーキングで晩御飯にした。ここには大きなクリスマスツリーとキャンドルのデコレーションがあり、サンタクロースが一緒に写真を撮ってくれるサービスをしていた。
相変わらず雨が強く降っていたが、どこへ行っても予想していなかった楽しみがあって、悪天候の不運を忘れさせてくれた。
そこから自宅までは一気だった。
小雨の中、たくさんの荷物を降ろし、タイヤチェーンが不要だった幸運を噛み締めた。
今回の3日間、何度も写真付きラインで実況報告していたので、長女や次女も不安はなかったようだ。
12月24日(木)「旅行を終えてひと息・・・の風さん」
今年最後のビッグイベントを終えたので、気分的に楽な1日が始まった。しかし、本来の作家の仕事があるのだが、やはり身辺整理がある程度できないと落ち着いて手が付けられない。
昨日、ちょっと高価なオルゴールを買ったクックラに電話した。なぜかと言うと、保証書が入っていなかったからだ。確かめてみると、輸入品で保証はないとのことだった。あれれ、と思いつつネットで調べてみたら、確かに輸入品で、輸入代理店は一般ユーザーには卸しておらず、販売店もほとんどなく、一番の驚きは、原産国が不明だという点だった。動きのあるオルゴールなので、いつかは壊れてしまうだろう。大事に扱うしかなさそうだ。
身辺整理がなかなか進まない中、長男が帰ってくるまでにやらなければならないことを優先させることにした。今日はとりあえず、長男の部屋に仮置きしてある本の入った段ボール箱の一部を特殊物入れに移動させた。
あとは富山でお世話になった会社へお礼のメールを送ったりしたが、結局、のんびり過ごしてしまった。
今夜は次女の帰りが遅いので、我が家のクリスマスパーティーは明晩へ延期。
12月25日(金)「グリューワインでクリスマス・・・の風さん」
もうのんびりはしていられない。
朝食後、保険会社に電話して、懸案事項を一つ減らした。
続いて、長男の部屋に仮置きしてある本の入った段ボール箱で、捨てる予定のものを裏の土地にある小屋へ移動させた。
スペースができたので、以前、この部屋だけ残っていた網戸の修理をした。これで我が家の破れた網戸はなくなった。家の修理で残っている大物は、庭のウッドデッキの更新だが、これは業者に依頼するしかない。
昼食後、キャメロンで出かけた。JAでお金を預け、JPで本代を送金し、スーパーで買い物をし、GSで灯油を買って、キャメロンに満タン給油した。
夕方、エージェントと電話で話し、某出版社へ売り込んでいた企画が正式に通ったことを知った。嬉しかった。来年9月には2作目の児童文学を出版するが、今日知った企画は、再来年の通算3作目の児童文学になる。自分の作品のテリトリーが幅広くなっていくことは、世の中へのメッセージになる。人間の可能性は大きく、何でも受け入れられるというメッセージだ。
7時過ぎに、組長業務で、配布する資料を集会所へ取りに行った。
それから我が家のクリスマスパーティーとなった。昨年ドイツで買ってきた缶詰ソーセージを明け、チーズフォンデュをメインディッシュに、ドイツのグリューワインを飲むのである。グリューワインは、ドイツで入手した専用のカップに入れ、電子レンジで熱燗のように温めて飲む。
私はグリューワイン2杯で酔っ払ってしまい、ダウンした。
12月26日(土)「風邪をひいたかも・・・の風さん」
執筆をしなければならないのに、どんどん時間が経過している。しかし、まだまだ雑用は残っている。
朝食後、やっとマイナンバー通知書に目を通した。とりあえず自分専用カードを申請して作っておいた方がよさそうだ。
帰省してくる長男のための最後の片付けをした。寒がりなので、部屋の石油温風ヒーターにも灯油を満タンにしておいた。
ところが、どうも朝から体調がよくない。イマイチ元気が出ない。花粉症の薬を飲んでみたが鼻水が止まらない。
少し寒気もする。とうとう風邪薬を飲んでみることにした。
夕食後、これはもう限界だと思い、ベッドに飛び込んだ。風邪の特効薬は一に睡眠である。
12月27日(日)「半日だけの一日・・・の風さん」
やはり風邪だったらしい。悪夢というほどではなくとも、普段見ない夢を見て、お昼過ぎに起床した。
ワイフは実家の義父を見舞いに出かけていたし、次女も出動、昨夜の終電で帰省してきた長男はまだ寝ていた。
友人の家へ遊びに行く長女を送ってから、ゆっくりと自分の雑用を片付けることにした。
ホームページはいわゆる作家ノートを兼ねていて、活動記録が丹念に書き込んである。今日は講演記録を整理することにした。今年から本名での活動も正式に作家活動に含めることにしたので、会社員時代からの講演も現在の講演にダイレクトにつながっているので、それらも含めて整理してみた。すると、先週の富山市での講演が通算118回目であることがわかった。かつては自分から売り込んで講演をやらせてもらっていたが、これからはそれはやめて、依頼があったらやらせてもらうことにしよう。
続いて、名刺整理。これは名刺管理ソフトを使ってスキャナーで読み込んだ名刺を保存する単純作業。最後に名刺ファイルに実物を保管するのだが、ファイルそのものが増えすぎたので、古いファイルから名刺を抜き取って処分して入れ替える作業に変わっている。
あまり無理しないようにして、今日はそこまで。半日だけだから仕方ないな。
12月28日(月)「手に負えなかったiCloud・・・の風さん」
休養したお蔭で風邪は治ったようだ。
快晴の空の下、キャメロンで先日切除したポリープの精密検査結果を聞きに病院へ行った。
予約して行ったので、長時間待つこともなく、順番が回って来た。
予想通り問題なかった。切除したのは2ミリの小さいポリープだったそうで、またできるかもしれないからと1年後の再検査を勧められた。
先日の食道から胃の内部もうそうだったが、自分の内臓の内部を見せられるのは変な気持ちだ。でも、これだけ詳細に調べてくれるのなら、確かに造影剤を使ったレントゲン検査よりも確実だと思った。さらに、鎮静剤を使ってくれたので、苦痛はまるで感じなかったし、大事をとっての入院も快適だった。来年も受けてみようと思う。しかし、亡くなられた大野先生の遺言は、発見の難しいすい臓がんや胆のうがんに気を付けろ、なので、これらは今後よく考えなければならない。
買い物をし、JAと銀行ATMに寄って帰宅したら、秋田の友人からビッグプレゼントが届いていた。
今夜はそのビッグプレゼントで家族できりたんぽ鍋を囲んだ。次女だけは忘年会に出かけてしまったが、4人が集まっただけでヨシとしよう。
缶ビール1本で酔っ払ってしまったが、そのままぶっ倒れたのでは友人に申し訳が立たない(笑)。頑張って立ち上がって、iCloudにバックアップができなくなってしまったワイフのiPhoneの対策に挑んだ。原因は、写真データを大量に送り込んだからだった。約2時間あれこれと秘術を尽くしたが、予想外に目的は果たせなかった。かなりiCloudとiPhoneの操作に慣れたのは収穫だったが。もっと早く手を打つべきだった。
12月29日(火)「年賀状印刷が終了・・・の風さん」
秋田の友人に電話をし、昨夜、家族できりたんぽを楽しむことができたお礼を伝えた。
同級生であれ、会社の同期であれ、年頃の似た友人や知人は、皆、似た人生の節目を迎えている。交わす会話はわずかでも、心で通じるものがある。悩み事は死ぬまで続くのだろうが、深刻でない限り、それは人生の喜びの一つだと思う。そういった悩み事が少なく、また解決していくドラマを経験することが少ない人は、家族以外のことにチャレンジするのだろうが、人間はほとんどの人が凡人である。凡人でも経験できる幸福は家族に関わることである。文句なしの幸福はもちろんのこと、悩みや困りごとだっていいじゃないか。そういう意味で、死ぬまで家族がたくさんいることが幸福なのだと思う。
年末年始は名古屋の自宅で過ごすとかで、ずっと実家で療養していた長女が名古屋へ帰った。
実家でさっさと年賀状を作って投函した長女を見習って、私も例年通りのプロセスで年賀状作成に着手した。住所録はほぼ更新できているので、いちおうプリントアウトして、送付先をマークする。このとき喪中はがきの届いた人たちもマークしておく。この作業が半分くらいだ。次に、デザインを考えるのだが、そのときの気分で選ぶだけだ。そして、今年出版した本があれば、その表紙の画像を貼るなどして、本名の知人であれ筆名の知人であれ、どちらにも通用するコメントを入れる。本名の知人に対しては、差出人欄で家族の様子を付記しておく。
夕食後、印刷にとりかかった。今年の第一陣は、189人分となった。今年も一枚も印刷ミスがなかった。三が日の間に、出さなかった人からも届くので、それは追加印刷で対応する。
12月30日(水)「年賀状を投函・・・の風さん」
朝食前に町の郵便局までキャメロンで行った。年賀状の投函が目的だった。幸い郵便局はオープンしていた。中は少し行列していたが、後ろに突っ立ったら、男性局員が奥から近付いてきたので、チャンスとばかりに近付いて年賀状の束を渡した。「こちらが県外で、こちらが県内です」「はい。ありがとうございます」さっさと退散した。それにしても、家の中にいるときと同じ格好で出かけて、そのまま局に入り、用事を済ませて、また帰ってくるという、都会ではほとんど考えられない行動だった。もちろんいつものように頭髪は寝癖で立っている(笑)。
一つの大きな用事を済ませたので、安心して朝食となった。3個ずつ食べていたみかんの包みが一つなくなったので、二つ目に取り組んでいる。これは2個ずつ食べていくことにする。包みはまだもう一つある。
年末年始休暇(私にはほとんど関係ないが)の間に、やらなければならないことはまだたくさんある。
最優先課題は、小説の執筆である。半分方針が固まっているが、まだはっきりしていないことがある。いずれにせよ、小説の執筆のためには、気持ちの切り替えが大事で、それには良い小説を読むのが一番だ。
久しぶりに読みかけの『代表作時代小説』を開いたら、藤沢周平さんの作品だった。読んでみると、見事としか言いようがない。舞台は江戸時代だが、現代人の心に沁みる。なぜなら、家族のことを扱っているからだ。老いた親が既に一家をなしていても子のことを思うのは普遍的な心理だ。状況設定に破たんがないので、すんなりと読む進むことができ、読後感も実にいい。これを自分の作品に生かすことが私の課題だ。
今日は、これも久しぶりだが、日本経営工学会の『経営システム』を開いた。今年の1月に発行されたもので、まだ目を通していなかった。気になる記事があったので、読んでみた。インダストリー4.0関連で、これも勉強になった。
夕食後、ワイフの年賀状作成を手伝った。最初は、ピンチのときだけ手助けするつもりだったが、結局、最後まで付き合うことになり、就寝は午前3時になってしまった。ワイフは、それから年賀状の1枚1枚にコメントを記入するという。私は189枚に共通コメントを書いて終了にした。
12月31日(木)「今年も穏やかな年の瀬・・・の風さん」
午前9時起床。寝不足気味。年賀状のコメント書きをしていたワイフは長女の部屋で寝てしまったという。しかも、仕事は終わらなかったとのこと。
天気は上々だが、イマイチ元気が出ない。
昼過ぎにやっと準備ができたワイフと一緒に、アクアで出かけた。
先ず、郵便局へ直行。ワイフが年賀状を投函したかったのだが、局は休みだった。おそらく内部では、総出で明日の年賀状配達の準備だろう。
続いて、昨日行けなかった墓参。今年も大晦日になってしまった。2台クルマが止まっていた。我が家のように遅いうちもあるのだと安心する(笑)。
墓地をざっと見渡したが、供花が枯れていたのは、一ヶ所しかなかった。ほとんど、近在の人たちなのだろう。お墓は近くにあるべきだ。
さらに、そこからスーパーへ向かった。大晦日でも買い出しの人は多い。我が家は大家族でもないし、楽な方だろう。
帰宅して軽く昼食にしてから、私は書斎で少し読書したが、眠くて仕事にならないので、夕方まで仮眠した。
夜は、紅白歌合戦でも見ながら、新年を迎えることになるだろう。
年末恒例の、今年の成果を以下に書きとめておこう。今年も確かに忙しかった。本名の原嶋茂としての活動も含めることにする。
●出版
共著『角倉一族とその時代』(思文閣出版)2015年7月
単著『トコトンやさしいコンカレント・エンジニアリングの本』(日刊工業新聞社)2015年11月
●読み物、エッセイ、随想
『関孝和数学研究所報告』(2009−2014)T 2015年3月発行
に「建部賢弘をめぐって」掲載。
『大衆文芸』2015年夏号
に「海外留学慰問(便乗?)の旅」掲載。
岩波書店『図書』2015年11月号
に「兼聴即明に読む『アジアの星物語』」掲載。
●短編小説
『数学文化』023 2015年(日本評論社)
に『風待ちの女』掲載(再録)。
『数学文化』024 2015年(日本評論社)
に『紺絣の女』掲載。
●講演、トークなど
JMA生産技術マネジメント研究会で自主講演(2015年1月9日)
『星に惹かれた男たち−江戸の天文学者 間重富と伊能忠敬−』
近畿和算ゼミでPR講演(2015年1月11日)
「新刊『星に惹かれた男たち』は、ノーベル賞受賞者西高東低の謎を解く?
名古屋三蔵塾例会で講演(2015年1月17日)
「世界が見ている日本とは? −新刊が伝えたいメッセージの背景−」
CPDミニ講座で講演(2015年3月11日)
「『星に惹かれた男たち』新刊の伝えたいメッセージ」
八重洲ブックセンター本店でトークセッション(2015年3月12日)
「江戸の天文学者たちの熱き交流と師弟愛」
藤田雄山貞資先生顕彰会で講演(2015年4月29日)
「世界を驚かせて江戸の天才数学者たち −和算発展の導火線に火を付けた男 吉田光由−」
BS-TBS「THE歴史列伝」NO.60 【関孝和】に出演(2015年7月3日)
愛知県技術士会の例会で講演(2015年8月30日)
『星に惹かれた男たち−江戸の天文学者 間重富と伊能忠敬−』+『久留島義太の業績』
袋井市北公民館で講演(2015年10月17日)
よりよく楽しい生き方セミナー1周年記念 「伊能忠敬の人生を決定したできごと」
慶應大学大学院SDMで特別講義(2015年11月6日)
『江戸時代にもあった学者たちの交流や研究の伝承 〜江戸の天文学者たちの熱き交流と師弟愛〜』
第31回「創造の船」で全体講演(2015年11月23日)
『江戸時代の科学技術とノーベル賞 〜これからの日本のモノづくり〜』
第31回「創造の船」経営懇談会で講演(2015年11月24日)
『歴史から学ぶ研究開発と技術伝承』
第16回計測自動制御学会システムインテグレーション部門講演会でキーノートスピーチ(2015年12月15日)
『江戸の天文学者たちの熱き交流と師弟愛』
OR学会中部支部講演会で講演(2015年12月19日)
『江戸の天文暦学研究に見る学際的環境と継承の風土』
C社で講演(2015年12月22日)
『コンカレント・エンジニアリングを御社の競争力へ 日本の存続・発展へ』原嶋茂
●非常勤講義
愛知工業大学大学院で講義。
前期は「生産マネジメント特論」
後期は「オペレーションズ・リサーチ」
●セミナー講師ほか
日本能率協会主催のセミナー講師を担当。
技術者育成の具体的進め方(2月)
新任工場長セミナー(6月)
中堅リーダー養成コース(10月)
日本能率協会主催の生産技術マネジメント研究会で主任アドバイザーを担当。
2016年1月はここ
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